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神戸地方裁判所 昭和38年(行モ)4号 決定 1964年3月30日

申立人 松永義輝

相手方 芦屋市長

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

申立人は、本件申立の趣旨として、「相手方が申立人に対して、芦屋国際文化住宅都市建設事業復興土地区画整理施行換地処分に基き昭和三八年九月四日芦建都第二五九号を以て、申立人所有の別紙目録第一記載の建物及び付属工作物のうち、別添図面黒斜線部分につき命じた移転及び立退処分の執行は、当庁昭和三八年(行)第二七号清算金徴収決定取消等事件の本案判決あるまでこれを停止する」との決定を求め、その申立の理由の要旨は、

一、相手方は、昭和三七年一二月一八日芦建都第四三〇号を以て申立人所有の別紙目録第一記載の建物(以下単に本件建物という)が所在する敷地である同目録第二記載の土地(以下単に本件土地という)に対して、土地区画整理法第一〇三条第一項及び第二項(以下単にこの法律については法第何条と略称する)の規定にもとずいて、その換地処分として、同目録第三記載の土地(以下単に本件換地という)を指定し、右換地に伴う精算金徴収額を一万〇、八九〇円と定める旨の処分をなし申立人は右処分の決定通知を受けた。

二、その後、相手方は、前記換地処分にもとづいて、昭和三八年九月四日申立人に対して、芦建都第二五九号を以て、本件土地上に所在する申立人所有の本件建物、ならびに付属建物たる納屋等及び石積土塀等の工作物につき、法第七七条第二項の規定にもとずき、昭和三七年一二月一〇日までに申立人において別添図面黒斜線部分(本件建物の該当除却部分面積は一二坪八合六勺である)に限り、移転もしくは立退きを命じ、申立人において右期限内に移転もしくは立退きをしないときは、事業施行者である相手方において、前記黒斜線部分の立退き及び一部除却の代執行をなす旨、通知及び照会をなした。

三、しかし、相手方のなした本件土地に対する右法条による区画整理の処分は、いずれも正当な補償にもとずかずして申立人所有の財産権を侵害する違法な処分であつて取消さるべきものであるから、申立人は本案として、昭和三八年一一月二五日当裁判所に対して、相手方(被告)に対して、本件土地に対する前記換地処分による清算金徴収の決定は取消す等の行政訴訟を提訴し、当庁昭和三八年(行)第二七号「清算金徴収決定取消等」事件として係属し、さらに同年一二月一一日訴変更(追加的)申立書を提出し、「被告(相手方)が芦建都第四三〇号昭和三七年一二月一八日付換地処分のうち原告(申立人)所有の本件土地についての換地処分、及び清算金徴収決定、並びに本件建物及び付属工作物に関し、別添図面黒斜線部分につき移転及び立退きを命じた処分はこれを取消す。」旨等の、訴の変更即ち請求の趣旨並びに原因の追加的変更を申立てた。

四、而して相手方のなさんとする前記建物及び付属工作物の移転及び立退処分の執行は、本件建物についてみれば、別添図面黒斜線部分の除却、即ち本件建物のうち、いわゆる東側下屋の部分の一部を切り取り撤去することを意味するものであるが、本件建物は建築後相当長年月を経過した建物であるから、その一部を切り取る工事をなせばたちまち本件建物全体が倒壊する危険が多大であり、たとえ補強工事を併用したとしても、右危険を避けることは出来ない。

しかも、相手方の工事施行の計画は、本件建物を現状のままその一部を除却するというのであるから、前記家屋の実情を考慮に入れない机上の計画ともいうべきものであつて、本件建物全部の倒壊は必至であり、その結果本件建物の居住者たる申立人及びその家族は勿論、近隣居住者の人命にも危険が生じ、かつ、財産的損失も莫大なものとなることが明らかに予想される。

五、これに反して、相手方の施行する本件土地区画整理によつて幅員を拡張すべく計画している道路自体は、いわゆる裏道にすぎないから、その利用価値は周囲の道路に比して乏しく、右除却処分の執行による工事に起因し、人命や器物の傷損の危険発生が明白である本件においては、その危険な除却工事を強行しなければならない緊急性は存しない。

六、また、観点をかえて道路敷上に出張つた本件建物部分の除却は、相手方は法に定められた正当な行為であり、その執行の結果、本件建物の残余の部分について、危険が生じ、居住者の生活ができなくなる結果が生じても、それについては別途補償を講じれば、前記除却部分の執行はさまたげないとの見解を持している如くであるが、本件建物の道路敷上に存しない申立人所有の本件換地上に存する残余部分については、相手方といえどもこれに侵害を加える権限のないことは明らかである。しかるに、道路敷上の本件建物の一部分につき、施行を予定している現実の補強及び除却の方法では、残余部分につき居住者が居住したままでは危険であることは明らかであり、本件建物が崩壊する虞があることは相手方自身がその可能性を認識しているところである。即ち一部崩落の場合もあり、又全部倒壊の場合もあつて、いずれの場合にも居住者に対する安全は何ら保証していない。このような除却処分の執行は、形式上は一応正当な業務行為の外観を呈しているものであるが、その実質をみるならば、本件建物の倒壊等の危険を予測し、右危険を承知の上で敢て完全な補強方法を講ずることなく、危険な方法により切取り工事の施行を行うもので、加害の意思を包蔵する権利行為に名をかりた権利の濫用であつて、その違法性はもはや阻却されるものではない。したがつて申立人は右除却される部分についての義務を負担するものではなく、相手方の本件建物に対する除却処分の執行は違法であり、その執行によつて申立人は上記の如く償うことのできない損害を蒙るおそれがある。

七、以上の理由から、相手方の前記除却処分の執行によつて、申立人は償うことのできない著るしい損害を生ずること明らかで、上記の如く相手方の本件建物に対する一部除却の通知に定められた期限は、昭和三八年一二月一〇日であるから、既に右期限を経過し、相手方はその執行にいつでも着手できるから、前記本案事件の勝訴判決をまつては、その執行の阻止は望めない。よつて「処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」の要件をみたす場合であるから、申立人は前記本案判決のあるまで、相手方の本件建物及び附属工作物に対する一部除却の執行の停止を求める。

というにある。

そこで、申立人が主張する執行停止の要件が存するか否かについて考えるに、疎甲第一号証の一(相手方作成にかかる「換地処分の通知について」と題する書面)、同第一号証の二(相手方作成にかかる「移転および立ちのきについて(通知)」と題する書面)、及び同第一号証の三(「換地図」と題する書面)に、相手方指定代理人大塚俊夫の審訊の結果を合せ考えると、申立人主張の一及び二に記載する事実については疎明がなされたものと認められる。右認定に反する資料は存しない。

また、本件記録中に存する訴状(昭和三八年一一月二五日付)、並びに訴変更(追加的)申立書(同年一二月一一日付)の各記載に徴すれば、申立人を原告とし、相手方を被告とする、申立人が前記三において主張する要旨に該る請求の趣旨及びその原因事実を記載した行政訴訟の提起、並びにその訴が現在当裁判所に係属(当庁昭和三八年(行)第二七号清算金徴収決定取消等事件)していることは本件記録に徴し明らかであり、右事件の前記請求の趣旨、並びにその請求原因事実と、申立人の本件建物移転及び立退処分執行停止決定申立書に記載する申立の趣旨、及びその理由とを対比し、これに申立人の審訊の結果を併せ考えると、前者の行政訴訟は、後者の行政処分の執行停止の申立の本案として充分で、行政事件訴訟法第二五条第二項に定める「処分の取消しの訴えの提起があつた場合」に該当するものと解するを相当とする。

そこで、相手方の本件建物及び付属工作物に対する一部除却の処分が果して理由あるものか、或いは取消さるべき違法な処分であるかの判断についてはこれを一まず措き(執行停止の段階においては相手方において、本件係争処分が適法要件を具備することを疎明しないかぎり、申立人の側においては、積極的に右係争処分が違法であり、取消さるべきことの疎明をなすまでの必要を要求されておらず、従つて、申立人側において、疎明に欠ける場合があつたとしても「本案について理由がない」と即断すべきではないことは、行政事件訴訟法第二五条第二項、及び第三項を通じて明らかであると言うべきである)、相手方のなすべき本件除却処分の執行によつて、同法第二五条第二項に定める、「回復の困難な損害」が生ずるか否かの点につき、判断を進めることとする。同条に定める「回復の困難な損害」とは、当該の処分の執行により、若し右処分が本来違法で取消さるべき場合においては、蒙ることの予想される損害につき、これを金銭賠償により補填することが不能である如き性質の損害の発生が予想される場合は勿論これに該当するものであることは異論なきところであるが、たとえその損害が金銭の賠償を以て補填をなすことは一応可能であると観念される場合においても、その損害の性質態様にかんがみ、損害なかりし原状を回復させることは、社会観念上けだし容易ではないと認められる場合も、これに該当するものであると解すべきを相当とし、その損害が人命にかかわり、或いは身体の傷害を惹起せしめるが如き場合においては、事の軽重を問わず、右回復出来ない、あるいは、回復の困難な損害、と言うに遅疑を要せぬところであるから、この種損害の発生の可能性が大きいときは、その処分の執行の停止はまぬがれざるところである。また、たとえその損害が具体的には財産その他生命身体以外の権利(例えば生活権)に対する侵害の場合においても、その予想される損害が発生した後では、その損害の発生なかりし状態にまで原状を修復することは、社会観念上いちじるしく困難である場合が予想される事例においては、行政事件訴訟法第二五条第二項に定める「本案について理由がないとみえるとき」、または、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」のいずれかの事由の存することにつき疎明がなされないかぎり、原則として、当該処分の執行の停止がなさるべきであることは、前者とその本質を異にすべきものではない。

しかしながら、当該処分がたとえ本来違法であつても、その執行により蒙ることの予想される損害がその性質上金銭に換算して賠償をなすことが許され、かつ、その金銭賠償を受けた被害者が、右金銭を以て、違法な処分による侵害のなかりし原状を回復することにつき、損害の態様性質上何んらの困難もなく、またあるいは、その原状回復自体は、物理的な観点からは、もはや容易にこれをなし得ない場合においても、社会的・経済的な観点からこれをながめれば、侵害前の原状と価値的には異別に評価し難く、ないしは原状よりさらに優位な状態の作出もまた何ら困難となすべき条件の存在が認められない場合には、もはや「回復の困難な損害」には該らないものと解すべきであるから、この場合においては、申立人において当該処分の違法が重大かつ明白であることを疎明できない限り、当該行政処分の執行の停止を求めることはできず、もつぱら本案において、当該処分の違法を確定し、その違法処分の執行がなし終つたことによる損害の賠償を得て、上記の意味での原状の回復ないしは損害の復旧填補をはかるのが、行政処分の公定力と、その自力執行性を認めた趣旨にそうゆえんである。

以上の法理に照らして本件につきみるに、相手方の除却処分の執行により、本件建物及び付属工作物の一部に生ずる損傷につき、仮りにその除却処分が申立人の主張する如く違法であつて取消さるべき瑕疵あるものと仮定するならば、上記如何なる種類の損害の発生に該当するものであるかにつき考察する。

本件建物以外の付属建物である納屋等ならびに石積土塀のうち別添図面黒斜線部分にかかる部分について、夫々相手方が撤去することは、石積土塀の撤去部分については、その部分が本件換地外で、道路敷上に存することが、また納屋等については、東側道路添約一間位が本件換地外で、道路敷上に存することが疎乙第五号証(建物調査図)の記載によつて疎明されており、右石積土塀の撤去予定部分については、その撤去後も、金銭賠償により容易に修復ないし新造が可能であり、又性質上その機能としては、旧状に劣らない塀を築造することは容易である。又納屋等については、その約半分近くが当然除却さるべき部分として除却された場合には、残余の部分のみが残余していても、何ら納屋としての建物の効用を残さないものであることは、前顕疎乙第五号証、及び疎甲第三号証の六(右納屋部分の写真)に徴して疎明されたものと言うべく、そうであるとすれば、その納屋全体について除却する処分自体については一応適法であると解すべく、この場合、処分の根源がもし違法であつたならばその本来道路敷に出張つた部分は勿論、残余部分についても相手方はその滅失の損害賠償をなす責を負うべく、又処分全体が適法であつたとしても、それによつて残余部分をまで除却せられ、全体としての納屋等付属建物の滅却をきたした損失については、申立人においてそれを甘受すべきいわれはないから、その損失についてはいずれにしても相手方より正当な補償がなさるべきであり、(法に定める正当な補償と右処分の即時執行との関係については、後に本件建物の一部除却を論ずる際に述べるところにゆずる。)申立人は上記金銭による損害賠償、あるいは損失補償を得て、右滅却された納屋の再築、ないしは、効用上もしくは経済上これと同一の価値を有する同種の建物を築造することは容易であり、又この種の損失ないし損害は原状回復のみを相当とする種類の損害ではなく、金銭的な補填を以て充分償いうる性質の損害と言うことをさまたげない。従つてこの部分の除却は「回復の困難な損害」を生ずるものではない。

そこで、最後に残された、本件建物の一部除却の執行について考えるに、相手方指定代理人大塚俊夫の審訊の結果、証人伴潔の証言、並びに疎甲第三号証の一ないし二六、(本件建物の現況写真二六葉)疎乙第三号証(松永義輝邸一部除却及び養生補強工費内訳)、同乙第四号証の一、二(神戸大学教授伴潔作成にかかる報告書二通)の各記載を綜合し、申立人の審訊の結果の一部(但し、後記の信用しない部分を除く)を併せ考えると、次の諸事実が疎明される。即ち、

(1)、本件建物は木造瓦葺平家建の家屋であつて、建築以来数百年(少くとも推計三百年以上)を経た古色蒼然とした旧家屋であつて、一見して、朽廃の状歴然たるものがあり、家屋自体外見上明らかに傾きを生じ、地震・暴風雨等不測の外力は勿論、屋根等の自重にすら、何時まで耐え得るか予測を許さず、不時の倒壊の危険が充分予想され、もはや家屋としての耐久度は限界に達し、技術的観点からは、人の住居に適しない木造建築物であること、

(2)、本件建物は、前記認定にかかる本件換地の指定により、東側道路添下屋部分約一間幅の部分の敷地が道路敷として指定され、その道路敷部分上の本件建物の下屋部分の一部が前記認定の如く除却命令の対象として、その執行の目的物となり、その撤去工事を相手方が計画立案し、その工費見積書が疎乙第三号証であること、

(3)、本件建物は朽廃著るしきこと(1)において疎明された如くであるから、申立人所有の本件換地上に裏の西側及び南側部分に相当の空地を残しているけれども、その空地部分に本件建物をそのままずらせて本件換地上に移転せしめることは、空間的には可能であつても、たちまち倒壊滅失を生じ、物理的な耐久度からして不可能であること、

(4)、本件建物の東側下屋部分の一部切り取り工事自体は、予め、残余部分に、また切り取り後切り取り部分に適当な養生と補強方法を講ずるならば、技術的には可能であり、実際の施行についても工事監督者の慎重にして注意深い監督を受けて施行されるならば通常の建築工事請負業者の技術経験を以てしても、充分施行をなし得、かつ、工費見積金額の点はともかくとして、相手方が本件除却工事の施行に関し、計画した養生及び補強工費内訳(疎乙第三号証)に記載された使用予定材料の明細と、上記工事遂行に技術上必要な「適当な養生と補強方法」の内容とを、具体的な工事施行の場を予測して、対照考察すると必要最少限度の手当てに欠けるところがないこと、

(5)、本件建物はその一部である東側下屋部分を切除されても、その部分は広い土間の一部、ないしは台所の「かまど」の一部が切除部分とともに道路敷になつてその部分の使用ができなくなるだけであつて、残余の土間の相当広い部分はいぜん残され、また居間畳敷部分等はすべてそのまま除却工事の対象とされることなく存置され、除却工事終了後の修復工事が完了した状態において、その時に残さるべき本件建物の有姿を概観すると、従前の本件建物に比して、それが居住家屋としての面から、その価値効用を評価すれば、さしてその効用に著るしい変化が生ずるものと推測すべき変更が現になされるわけではなく、従つて従前の申立人の生活形態の変更なくしては、除却後の本件建物を住宅として使用し得ない程の質的な価値変化を生ずるものではなく、従来の生活の実態は、一部除却後の本件建物においても、実質上の不便を感ずることなく維持できうるものと推定される重要ならざる家屋型態の些少な変容をきたすにすぎず、全体として、家屋の効用がなくなる如き除却工事では決してなく、現在の本件建物を評価の標準としてとるならば、住宅としての実質的価値は、本質的な差異を生ずる工事ではないこと、

従つて以上の事実を綜合すれば相手方の本件建物の東側下屋の一部に対する除却処分の権限、その処分の現実の執行が可能なこと、並びに、一部除却の処分自体は不当でなく、相当と窺われること、の各事実については一応疎明があつたものと言うべきである。

勿論、この一部除却の処分によつて、たとえその処分が適法かつ可能であつたとしても、申立人は、その処分の執行によつて生じた損失については執行後相手方より正当な補償を受くべきものであり、法第七八条第一項、第三項、及び法第七三条第三項等は右損失補償を保証する規定である。また、その正当な補償を受けることによつて、一部除却の工事が上記認定の如く予期の結果をおさめた場合は、その損失は償はるべき性質のものである。法第七八条第一項には施行者は建築物等を移転し若しくは除却したことにより他人に損害を与えた場合……においては施行者はその損失を受けた者に対し「通常生ずべき損失を補償しなければならない」と規定され、申立人は相手方に対して、その除却及びその補修完了後右処分の執行により蒙つた通常生ずべき損失の補償に足らざるものがあるときは、その総額について補償の要求を当然なし得、かつ法第七三条第三項等の規定において、申立人と相手方との間で協議が調はないときは収用委員会の裁定によるべき旨定め、その正当な補償の額についてはさらに一般の行政処分に対する不服ないし救済手段を求める途も開かれているから、従つて申立人が相手方の呈示した補償額につき不服であつて、その協議はついに調はなかつたこと自体は、相手方のなす除却処分の執行々為に対する不服とは、面を異にする紛争であつて、その紛争の存在自体は、右除却処分の執行力に何ら影響を及ぼすべき性質のものではない。

申立人審訊の結果の一部中には、相手方が本件建物の東側下屋部分の一部除却工事をなせば、本件建物はきわめて古い朽廃した木造家屋であるから、右工事の震動衝撃により、本件建物全体が倒壊することは必至であり、きわめて危険である。旨の陳述部分が存し、右陳述の趣旨の裏付けをなす疎甲第二号証(生長建設株式会社代表取締役谷口裕重作成にかかる調査報告書)同第七号証(中本武夫作成にかかる調査報告書)の各記載は、いずれも証人伴潔の証言と対比してたやすく信用できない。かえつて相手方指定代理人大塚俊夫審訊の結果、及び本件記録に顕はれた資料を綜合すると、申立人の右陳述及び前顕疎甲第二号証及び同第七号証の各調査報告者の予想する本件一部除却処分の執行工事施行に際し、なさるべきことを要求する養生及び補強の方法は、なるほど申立人の主観的要求を満足せしめる意味で必要な工法と言うべきではあろうが、右は本件建物の現存する自然的耐久度を、右養生及び補強方法を講ずることにより、一層増大させ、その家屋としての価値を増進せしめることを目的とした改良工事的な内容を持つ性格が多分に存することが窺われる。しかるに、法第七七条による除却処分のうち一部除却処分は上記の意味における改良的な内容を有する工事の施行を、法律上要求されているものでなく、本来現状の自然の朽廃の度合が、物理的に同一とみなされる程度を以て、工事施行後の物件に引継がれるならば、その処分の執行自体は必要にして、かつ法の要求する充分な方法というべく、その執行はいわゆる現状保存の程度で足り、あえて改良をもたらす工法を、不相当に多額な工費を以て施行しないかぎり、その処分の施行は法律上なし得ざるものではなく、法の定めた必要にして充分なる工法によつても、なお損害を受けた処分の相手方は正当な補償によつて、その損失を補填し得べかりし筋合である。この理は法第七八条第一項に「……除却したことに因り他人に損失を与えた場合……その損失を受けた者に対して、通常すべき損失を補償しなければならない。」と規定している文言からも充分窺われるところである。してみると、なるほど証人伴潔の証言、並びに前顕乙第四号証の二の記載によれば、相手方の本件除却工事にあたつてなすべく計画されている養生及び補強の方法は、本件建物が構造上安全性を増大すると解される程度の工法ではないが、右下屋部分の除却により、本件建物の安全性を更に悪化せしめないための方法としては必要にして最少限度の要件を満す工法であり、その施行後の結果は、概してその耐久度は現状のそれに比して弱まることは絶対ないことが窺われるから、以上の法理に照らせば、相手方が右養生及び補強の方法を最善の注意と良識をもつて誠実に施行するならば法の要求する除却処分の執行方法としては、必要にして、かつ、充分であることの疎明がなされたものと解するを相当とする。

もつとも、証人伴潔の証言の一部には、本件建物は自然的朽廃が極めて著るしく、人の住居に使用すること自体、現状においては差し迫つた危険な状態にあり、何時自然的な倒壊を起さないとも限らないことが窺われるから、或いは除却工事施行の際に、若しくは施行後暫くして、倒壊の事故が起らないとは或いは断言できないかも知れず、不測の事故の起ることが万一あるかも知れない。

しかし、それが自然的原因による場合を除外し、本件除却工事の施行に起因する事故であつたならば、結局相手方の一部除却の処分がその執行において物理的に不能又は客観的に不相当であつたことの証左となるわけであつて、それはとりもなおさず、一部除却の処分は不可能ないし不相当で、しかし尚かつ道路敷上の妨害物件たる本件建物部分は除却する必要がいぜん存する場合であるから、移転については物理的に不能であることは前認定の通りである以上全部除却の処分をなすべかりしであつたことに帰し、一部除却の工事の結果生じた全部倒壊により、申立人の受けた損害は、当然その全部について賠償ないし補償のなさるべき筋合であり、この場合の賠償等と除却処分の執行自体との関係は、前認定のとおりである。

また、除却処分が本来不適法で取消さるべきものであり、仮りに相手方が一部除却の執行により、本件建物の全部が倒壊する結果が生じ、相手方が右結果を予測すべく、その点につき過失があつたことの立証がなされたならば、申立人は相手方の右不法行為による本件建物全体が倒壊したことについての損害の賠償を求めることができその金銭賠償によつて、たとえ本件建物を原状に復することはできなくとも、経済的にはこれと等価の賠償を受け、それにより、社会観念上同一の居住を営むに足りる家屋を、申立人が獲得することは可能であるから、その仮定事実たる本件建物の倒壊という事実が、仮りに実現したとしても、その事実自体、従つてその損害自体は金銭賠償を以て償うことのできない損害とは言えない。

しかしながら、問題とすべき点は以上述べて来た財産的損害と異なつて、その除却工事によつて、人命に危害を及ぼす場合であつて、それが若し予想されるときにおいては、それ自体明らかに「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に該当することは疑いの余地はない。

従つて、相手方はいかにその除却処分が適法有効であることを疎明しようとも、事人命に対しては、その危害を避けるために必要にして十分な措置を最善の方法において講じたこと、ないしは講ずべく、かつ現実に講じ得ることを立証しない限り、その人命に危害を及ぼす危険ある処分の施行は、少くとも、その危険の現在する期間停止の処分を受けるも已むを得ないと言うべきである。

ところで、本件につきみるに、申立人等家族は本件建物内に居住生活をなしているものであり、若し本件処分執行中、なお移転を肯せず、本件家屋内に居住占有していた場合、右除却処分工事施行中、仮りに設計々画に齟齬があつて、本件建物の全部が倒壊したような場合には、申立人ら家族の人命は保証されず、そのような事例でなくとも、工事の震動等により頭上物件の一部が崩落し、さらには、工事遂行に従事する作業員の作業物件により、申立人らが傷害等ひいては人命に著るしい危殆を生ずる虞の発生する事態が現出しないとは予測の限りではない。

このような場合にそなえて、法第七九条は「建築物に居住する者を一時的に収容するために必要な施設」の設置を命じているものと解すべきで、前顕疎乙第三号証の記載費目中には仮住居の費目を計上し、一時収容のため必要な仮設住宅の建設を予定している。したがつて、本件一部除却処分の執行停止がなされない限り、相手方は右処分の執行をなすべく、また申立人はその執行自体は忍受すべき法律上の義務があるから、相手方が工事施行にともない予測される申立人ら家族の人命に対する危険を避けるため設けることを予定しているその仮設住宅が設置された場合には、申立人らは当然右仮設住宅に移転すべき法上の義務を負うものと解すべきである。

従つて、右移転義務の履行はそれ自体申立人は拒むことができず、又自己の意思にもとづいて移転の義務を果すことは、通常の良識を持つた者ならば頭上に差し迫つた上記の危険を坐視するを得ないであろうから、その履行は充分期待できるところというべきであるがそれにも拘らず、敢て申立人において我意をあくまでも固執し、自己の居住部分は除却命令の執行の対象物ではなく、居住の権利は侵されない等の理由を強弁して、仮設住宅への移転を肯ぜない場合が、仮りに起つた事態を考えると、そのような場合に直面してなお相手方は執行の停止されないことを理由に、工事を強行することは、その結果申立人ら家族の人命に現実の危害が発生した場合、なおその違法性が阻却されるものと、安易に臆測することは許されず、危険防止のため万全の策を講じなければならないのは勿論その種危険が差し迫つた場合には、一時工事を停止して、申立人らをしてそのような差し迫つた人命に対する危険の継続する間、その難を避けるため、既設の仮設住宅に移転すべきことを充分説得し、なお説得を聴きいれず、上記住宅部分に居坐つて動かない場合は(本件の除却処分の執行とそのために必要な補強補修工事とは不可分の関係にあるから)いわゆる公務の執行に対する不作為による妨害行為と断ずるも過言でなく、仮りに然らずとするも、右差し迫つた危険をさけるために、行政上実力を以てしても、申立人ら占有者をして、少くともその種危険の継続する間、既設の仮設住宅へ移転せしめてその安全をはかるための身体に対する直接の強制方法を講ずる法律上の方策は、別途存するから、相手方は上記の点に留意して、冷静に慎重な工事の施行をはかれば、たとえ前記認定の本件建物の現状が客観的にきわめて危険な状態であつたとしても、少くとも、人命に危害を及ぼすことは避けて、その処分内容の実現をはかることは充分可能であるものと認められ、反面申立人のこのような一種の消極的抵抗のゆえに、行政処分の本来の執行をはばまれるものと解することは、法に定める土地区画整理事業の実効を失うにいたり、ひいては法の実現をはばむものであるからかかる解釈は到底採るを得ない。

なお付言するならば、以上は処分の直接の執行に重点を置いてのことがらであるが、その除却及び補修がなされた後、再び申立人ら家族が本件建物で生活を継続することを考えると、その補修後の家屋は、最少限、従前の家屋と同一の強度を有し同一の物理的条件を満足する耐久度が、現実に、保証されなければならず、現になされた工事のため、本来有していた耐久度が弱まり、そのため同所で生活を続けた申立人らの上に不測な危害を及ぼすようなことがあつてはならない。従つて、証人伴潔の証言により指摘された如く慎重な注意を以て工事を施工し、その現在有する自然的耐久度を弱めるが如き安易な工事施行の方法をとつてはならず、申立人自身も、本件建物は現在においても人の住居には危険な建物であつて、相手方のなす養生と補強の方法もしよせんは上記の如く現存せる自然の耐久度増補する性質のものではないこと、従つて工事後といえども、本件建物はなお人の住居には危険であつて適しないものであることに思いを至して、自然の崩壊による危険を避くべき方途と注意とを将来にわたつて充分講ずべき必要があると言うべきである。

以上の如くであるから、いずれの点から観るも、相手方の本件建物に対する一部除却命令の執行によつて、申立人に対し行政事件訴訟法第二五条第二項に定める「回復の困難な損害」を生ずる虞はないものと認めるを相当とする。右認定を左右するに足りる疎明の資料は、本件記録のすべてを通じてこれを見出すことができない。そこで、申立人の右処分の執行に対する停止の申立はこの点において不適法であるから却下する。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 原田久太郎 林田益太郎 東條敬)

(別紙目録)

目録

第一、芦屋市上宮川町六六番地

木造瓦葺二階建一棟 台帳面積 三七坪四勺(本件建物と称するもの)

第二、芦屋市上宮川町六六番地

宅地 公簿面積   一五六坪 実測 一九四坪六合四勺(本件土地と称するもの)

第三、芦屋市上宮前町七七番地

宅地        一七八坪二合六勺(本件換地と称するもの)

(別紙図面)<省略>

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